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筑豊でartする #5「鉄、筑豊、日本。 ルーツを探る旅 母里聖徳」

2023.12.10

筑豊でartする。筑豊には昔から多くのartが存在しています。このコーナーでは、筑豊地域のアーティストが集ったNPO法人アーツトンネルが独自の視点で、筑豊にあるartを紹介していきます。

#5 鉄、筑豊、日本。ルーツを探る旅「母里聖徳」



プロジェクトとパブリックアート


「ゴットン」という言葉をご存知だろうか?それは炭鉱時代、労働者が坑内で歌った仕事唄「ゴットン節」に由来する。2012年、田川市と川崎町にある3つの商店街でゴットンアートマジックという大規模なプロジェクトが行われた。元気のない各商店街の空き店舗などに40人のアーティストが作品を展示し、ワークショップやシンポジウムを開催。さらに、スーパーの空き店舗を会場とし、世界記憶遺産へ登録された山本作兵衛翁の原画を101点展示し、話題を呼んだ。母里聖徳さんは、このプロジェクトの発起人であり、鉄のアーティストでもある。

筑豊アートシーンから突然消える

母里さんは遠賀郡水巻町に生まれ、国際鉄鋼彫刻シンポジウム・ YAHATA87などのプロジェクトや鉄のアーティストとして北九州を中心にパブリックアートを手掛けてきた。鉄や石炭などの近代産業と美術の関係を模索する中、田川市に移住し、世界的なアーティストである川俣正さんの「コールマイン田川プロジェクト」やオルタナティブスペースhacoの運営に携わる。そして、NPO法人アイアートレボ(芸術産業革命)を立ち上げ、筑豊内で炭鉱や遠賀川流域に関するプロジェクトを手掛けた後、アートシーンから突然消えてしまった。

鉄と自身のルーツを探す旅

人類は鉄を扱う技術を向上させることで暮らしを豊かにしてきた。鉄には約3500年の歴史があるという。母里さんはその歴史を踏まえ、鉄のアーティストとして自身の表現を追求した。黒田武士として有名な母里太兵衛をルーツに持つ母里さんにとって、自身のアートの追求は、自身のルーツを探る旅でもあった。その旅は、室町から桃山時代の「茶の湯」における茶釜や茶陶器、そして、発掘された古代日本の出土品を含む、縄文の土偶まで遡った。アートシーンから姿を消した母里さんは、縄文時代に行っていたのだ。その中で、筑豊遠賀川流域について、大きな気づきを得たのだという。

ここ(筑豊)で活動する意味

海に囲まれ、山と川に恵まれた日本は、世界的に見ても豊かな土地であったそうだ。こと筑豊遠賀川流域は、英彦山や遠賀川、玄界灘など豊かな自然に恵まれ、古来から多くの人が営みの中で、この土地に暮らしてきた形跡が残っている。「ここ(筑豊)はすごいところ、この国のはじまりなんよ」と母里さんは話す。「そのことを、ここに暮らす人たちに気づいてほしい」作品制作を30年ぶりに再開した母里さんは、作品制作活動を通じて、日本人独自の美意識、そして、この国の「豊かさ」と「和(なごみ)」を探求する。「役に立たない鉄で、人の心の役に立つ鉄(作品)を作ろう」そう話す母里さんの作品は「ゆがみ」や「ひずみ」を持ち、潰れて役に立たない鉄(作品)だ。しかし、その鉄(作品)から戦争の道具は生まれない。ここ筑豊、遠賀川流域が「豊か」であるからこそ、その鉄(作品)の美しさに気づくことができると、母里さんは信じている。鉄、筑豊、日本人。鉄のアーティスト母里さんの旅はこれからも続いていく。

【PROFILE】

母里聖徳
水巻町出身1956年生まれ。 1987年国際鉄鋼彫刻シンポジウム・ YAHATA87などのプロジェクト、また北九州でパブリックアート制作を手掛ける。2022年北九州市立美術館にて創作回顧展「母里聖徳・鉄鋼彫刻の軌跡展1986〜2022が開催された。


【CHECK IT OUT !】

「鉄を生ける 母里聖徳展」

北九州の鉄のアーティストとして、鉄だけでなく、街や歴史、そして世界と向き合い、作品制作やアートプロジェクトを行ってきた母里聖徳の個展を開催します。鉄を通じて人の歴史や世界と向き合ってきた母里が、その時々の人の営みに翻弄され、破棄されてきた鉄を生けることで、その「時」をえぐります。この土地から世界に向けて感じる事のできる「鉄」を味わっていただければと思っています。
イベント詳細ページはこちら

この記事を書いた人

NPO法人 アーツトンネル

アーツトンネルは、筑豊にアーティストの拠点を作り、新たな文化が生まれ、育っていくような場所を目指したNPO法人です。美術家や写真家、振付家などの肩書きを持つ11人で構成されています。ホームページはこちら

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