筑豊でartする #3「野見山暁治」言葉を持たない絵 絵や美を表す言葉
2023.10.13
筑豊で する。筑豊には昔から多くの が存在しています。このコーナーでは、筑豊地域のアーティストが集まった 法人アーツトンネルが独自の視点で、筑豊にある を紹介していきます。
no.03 言葉を持たない絵 絵や美を表す言葉「野見山暁治」

2022年10月31日、糸島のアトリエにて撮影
「僕の中に『これ』というものがあって、それをみんなに引っ張り出して見せたくて、引っ張り出そうとしている」これは野見山暁治さんがテレビの取材の際に語った言葉だ。「それを、色を塗って色々試している。『ああ、これなんだ』というまで(描いて)みんなに見せたいな。それが絵を描いていることなんじゃないか」(NHKEテレ『こころの時代』「100年のアトリエ 画家・野見山暁治」より)野見山さんは100歳を過ぎてもなお精力的に絵を描き続けたほか、エッセイなど多くの書籍を出版している。
筑豊から日本全国の美術館に
1920年、野見山さんは穂波村(現・飯塚市)で生まれた。小さな頃から絵を描くのが好きだったそうだ。嘉穂中学校(現・福岡県立嘉穂高等学校)に進学後、画家の道に進みたかったが、炭鉱を経営していた父から反対された。その時、嘉穂中学校の先生が、野見山さんが美術学校に進学できるよう、父を説得してくれたのだという。そのおかげで、野見山さんは東京美術学校(現、東京藝術大学)に進学。戦争で満州に出征したが、肺を患い帰国し、終戦を迎えた。そして、パリに行き、帰国後母校の教授となる。野見山さんは102年の生涯を終えるまでずっと絵を描き続けていた。現在、野見山さんの絵画は全国の美術館に収蔵されている。
母校での特別授業
野見山さんは、2016年から2022年まで、嘉穂高等学校付属嘉穂中学校で特別授業を行っていた。この授業を受けた多くの中学生たちは、今、自分の将来について、どんなことを考えているのだろう。野見山さんには、画家になることを応援してくれた先生がいた。自分がやりたいことを応援し、自分の可能性を見出してくれる、そんな人の存在の大切さを、野見山さんは誰よりも実感していたのかもしれない。
野見山暁治館の屋上から眺める景色
飯塚市にある「みぞえアートギャラリー 野見山暁治館」では野見山さんの残した多くの絵画を観ることができる。様々な色が使われていて、対象を描いた絵画もあれば、何を描いているのかわからない抽象的な絵画もある。それらはまさに、野見山さんが引っ張り出そうとした「これ」だと思った。さらに、野見山さんは、多くの言葉を、そして、それを綴った書籍を残している。絵を描くことについて、そして、日常や人生について語った言葉は、わかりやすく、とてもおもしろい。「言葉を持たない絵」と「絵や美を表す言葉」の両方を残してくれた野見山さん。筑豊に暮らすわたしたちは、それらから学びを得るだけでなく、それらを通じて自分自身を応援してもらえるような気がする。作品や書籍を鑑賞した後、野見山暁治館の屋上から眺める筑豊の景色はとても美しかった。
photo and text by ARTS TUNNEL
【野見山暁治】
1920年、福岡県穂波村(現飯塚市)に生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後12年間パリで生活し、帰国後は東京芸術大学で教えながら、自身の作品を制作発表、同大名誉教授となる。00年に文化功労者、14年に文化勲章。2023年6月心不全のため死去。
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【特別常設 野見山暁治追悼展/直方谷尾美術館】
2023年6月に102歳で逝去された画家野見山暁治氏を偲んで、追悼作品展を開催します。 野見山氏は戦後の日本美術界を牽引し続け、100歳を超えてもなおその制作意欲が衰えることはありませんでした。 本展では当館収蔵の野見山氏の作品を8点取り上げ、氏の画業を振り返ります。
イベント詳細は
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