嘉麻市・山田「射手引神社」_昔からあるし、これから先も変わらない、無くならない場所としての神社の意味。
2023.11.10
「弥栄神楽」「山田ブギウギまつり」…普段は静かな時間が流れる山田にも溢れ返るほど人が集まる時がある。それも山田内からだけでなく、筑豊全体、福岡市内からも。そんなイベントについて各所で話を聞いてまわる中で浮かび上がるキーパーソン、それが射手引神社の禰宜(ねぎ)・桒野隆夫さんだ。
神職家系ということでもなく、ごく一般の家庭で育った大野城市出身の桒野さんが、なぜ山田で、そしてそもそもなぜ神職を選んだのか。たっぷりじっくり話を伺う中で見えてきた、「山田」の本質とそこで息づく「射手引神社」のはたらきを皆さんにもお伝えしたい。
「和らげる」という意味を持つ古語「ねぐ」を語源として生まれた役職「禰宜」。そんな桒野さんの活躍は神社内に留まらず、境内から長い階段を駆け下りて、山田中を駆け巡っている。
「ある神主さんを追ったドキュメンタリーかなにかがテレビであってたんですよね、それを観てなんだか面白そうだと思ったんです」進路に悩んでいた高校2年生の夏休み、桒野さんは神職の道を選んだ。
多くの神主を輩出する皇學館大学に進学、妻の麻里さんとはそこで出会った。「神社に全く関係のない世界から来る人っていうのはなかなか珍しいですね」と麻里さん。
ごく一般の家庭で育った桒野さんにとって、大学生活や神社奉仕で通った兵庫県の神社での経験は、常に新鮮で全てが楽しいものだった。「ただお祓いしてるだけじゃないんですよね、草刈りとか雑務をやったり新しい催しを企画したり…思ってた世界とは全然違いましたけどそれが逆に面白いと思いました」
卒業後は那珂川市の現人神社に約10年間勤め、16年前に麻里さんの実家である射手引神社に帰ってきた。当時は人も立ち入れないほど暗かった射手引神社。およそ一年をかけた山の開拓から桒野さんの禰宜生活は始まった。

弓矢の加護を得ようと、弓道関係者が試合の前に訪れたりもするんだとか。
「とにかく思いつくことをまずは全部やりました。やり方が分からなくても、専門の人にひとまず声をかけてみる、そしたらその周りの人ともまた繋がって…」稚児行列を復活させたり、従来の祭りもキッチンカーやステージを設けたりして若い人も集まりやすいマルシェ風にしたり。

250年の節目に行われた「射手引神社御鎮座二百五十年祭」の様子。桒野さんが射手引神社の禰宜として初めて行ったのがこの記念行事。「この祭りがきっかけで山田の方々とのつながりが始まりましたね」と桒野さん。
「山田だからできてるなってことがたくさんあります。新しいことってやっぱりどこででもできるわけではないというか…でもゼロから始める事の方がやりやすいじゃないですか。山田にはやってみよう! って集まってくる人が多いと感じています」と桒野さんは語る。
「神社って昔からあるし、どれだけ周りが変わってもずっと在り続ける場所じゃないですか。だからこそ、ここに来ればどの世代でも何か思い出を蘇らせられる事ができると思うんです。『無くならない場所』として神社はすごく意味がある」長い階段の上から山田を見守る射手引神社では、まさに人と人とを和ませる禰宜・桒野さんが、今日も忙しく次の催しの準備をしている。

山田に鎮座して今年で263年。伝統行事の「獅子舞宮移り」では130段の石段を約2時間半かけて上り舞う。
嘉麻市上山田1539
0948-52-0673
ホームページは
こちら