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筑豊でartする #9「想いを受け継いだ少年 河村陽介」

2024.04.10

筑豊でartする。筑豊には昔から多くのartが存在しています。このコーナーでは、筑豊地域のアーティストが集ったNPO法人アーツトンネルが独自の視点で、筑豊にあるartを紹介していきます。


筑豊でartする #9

想いを受け継いだ少年

河村陽介





美術が大好きだった

河村陽介さんは、幼い時から美術が大好きだった。「時間があればいつも美術館に行っていました」そう高校時代を振り返る。美術館に行っては、絵や彫刻を鑑賞し、作品について様々な想いを巡らせていたそうだ。直方谷尾美術館では、飯塚出身の画家である、野見山暁治を大好きになり、織田廣喜美術館では、嘉麻市出身の画家である織田廣喜を大好きになった。河村さんは画家の道に進みたかった。しかし、画材や教材にお金がかかる美術大学への進学をすぐには決断できなかった。

画家になることを決意

何度も悩んだ末、美術大学への進学を決意したのは、入試の半年前。実技試験に必要なデッサンの技術を学ぶには、ギリギリの時間しか残っていなかった。短期間での絵の指導を引き受けてくれたのは、直方出身の画家である赤星月人さんだった。河村さんは赤星さんから絵を学ぶ中で「絵は食べていけないから」と画家ではなく、デザイナーへの道を勧められたという。しかし、河村さんの画家への想いは強かった。無事大学に進学すると、大学の同級生に現代美術の作家を教えてもらったり、子どもと一緒に絵を描くボランティアに参加したりする中で、美術の世界にのめり込んでいった。

食べていけない方を選ぶ

大学卒業後、河村さんは、織田廣喜美術館のスタッフとして勤務する。しかし、そこでの仕事中に織田廣喜の資料を読んだ時、画家への憧れを捨てきれていない自分自身に気づき、美術館を退職した。そして、その頃に出会った母里聖徳さんから様々なアートプロジェクトに誘われ、河村さんの画家としての活動が本格的に始まった。「絵は食べていけない」恩師である赤星さんの言葉のとおり、画家としての生活は苦しかった。しかし、アートプロジェクトや展覧会で出会った人たちから「ここで展示してほしい」「絵を描いてほしい」と声をかけられ、画家としての活動は、それから今までずっと続いている。

出会いが絵を描かせてくれる

画家として生きていくことを考えると、筑豊を出て、大きな画廊やギャラリーがある東京に行くべきなのかもしれない。しかし、河村さんにとって、筑豊は画家を目指すきっかけを与えてくれた画家たちが生まれた地。そして、河村さんに様々な出会いを与えてくれる場所だ。筑豊に伝わる昔話を河村さんの絵と文章で伝える「しまやの筑豊物語」は直方市の仕出し料理店「筑前しまや」の島添耕治さんとの出会いから始まった。偶然にも河村さんの恩師である赤星さんは、同じように直方に伝わる昔話を伝える本の挿絵を描いていた。「亡くなった赤星さんに恩返しがしたい」河村さんはそう話す。筑豊の画家たちの想いは、1人の美術好きの少年に受け継がれた。そして、様々な人たちとの出会いを経て、今につながっているのだ。

【PROFILE】

河村陽介
福岡県宮若市生まれ、飯塚市在住。
赤星月人先生の画塾にて絵を学び、現在、作家として筑豊を拠点に活動中。2021年より筑豊にある仕出し しまや様と「筑豊の昔話」を未来に繋ぐ活動を開始し、You Tubeにて配信中。

この記事を書いた人

NPO法人 アーツトンネル

アーツトンネルは、筑豊にアーティストの拠点を作り、新たな文化が生まれ、育っていくような場所を目指したNPO法人です。美術家や写真家、振付家などの肩書きを持つ11人で構成されています。ホームページはこちら

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