2026.09.08
伊田駅そばに佇む、ハンバーガーの到達点|Steven Spiel Burger
by CHIKUSKI WEB 編集部
その歴史を遡ること4000年。
当時インドで飼育されはじめたのが最古の歴史といわれ、
その後食の大国中国で改良が行われ、飛鳥時代に日本にわたったとされています。
その後江戸時代「生類憐みの令」によって一時ほぼ食することができなくなりました。
それが撤回された後、豚と共に徐々に育てられるように。
ただまだ食糧難の時世、人間が食べる物に困っている中で飼料を確保することは困難で、戦後まで一般に普及するにはいたりませんでした。
その後鶏の歴史を一変する「ブロイラー」が登場しました。
ブロイラーとは肉鶏の一品種で、短期間で急速に成長させる目的で作られた品種です。
アメリカ進駐軍によって鶏肉の需要が拡大し、ブロイラー用の雛が輸入されました。
それに伴い一気に鶏が普及することになり、筑豊にもあっという間に広まったそうです。
筑豊は元々ホルモンが盛んであり、当時から“とんちゃん”という名で親しまれてきました。
ただ低価格とはいえ貧しかった当時、鶏を飼う農家が急増しました。
その一番の要因は「食循環」だったと言われています。
雛から育て、エサは食べ物の残りや野草ですむこと。
産んだ卵は貴重な栄養価として重宝したこと。
その糞尿は堆肥として利用できたこと。
卵を産まなくなったら、鶏肉となったこと。
当時を知る方に聞くと、ほぼ全ての農家には、
庭先に小屋を作って、そこで鶏を飼っていたそうです。
また闘鶏も盛んだったそうで、そこでより強い鶏を生み出すために
様々な品種改良が行われたことも、質が良い鶏が多い要因と言われています。

当時日本全国で鶏が一気に普及しましたが、筑豊でなぜこれほど盛んになったのか。
その理由のひとつに「石炭産業」があげられます。
高度成長期、筑豊はエネルギー産業で大変賑わいました。
全国各地から食を求めて人が訪れ、街はいつもごった返していたそうです。
しかし石油をはじめとした新たなエネルギー産業が登場し、石炭産業は衰退を辿ることに。
筑豊を去る人、新たに職を探す人。
その中で当時目を付けられたのが養鶏でした。
・比較的少ない資金で始められる。
・当時土地がたくさん余っていた。
・自然豊かで養鶏に適していた。
そんな条件から養鶏へと転職する人が増え、筑豊は福岡県でも有数の養鶏処となりました。
またそれに比例するように鶏料理の店も増え、
福岡や北九州にも負けないくらいの旨い店が増えました。
その要因のひとつに、石炭時代の「宵越しの金は持たない」精神があったと言われています。
当時石炭採掘は危険な仕事であり、いつ命を落としても不思議では無い環境だったそうです。
稼いだお金は皆湯水のように使ったそうで、連日鶏料理店は賑わったそうです。
そんな状況から美味しいお店が増えたとのことです。
今でこそ専門店は減ってしまいましたが、今でも当時の面影を色濃く残す名店も数多くあります。
そしてもう一つ忘れてはならないのが、唐揚げ。
筑豊に来ると誰もが驚く、テイクアウト専門店の数。
それもエネルギー産業が賑わうと同時に、ガスが安全で低価格で使えるようになり、増えたそうです。
今では晩ご飯はもちろん、ちょっとしたおやつにと、より身近な存在へとなりました。
また各店ごとに衣や味付けにこだわるなど、手軽に美味しい鶏が味わえるようになりました。
これから筑豊の鶏文化は新しい時代を迎えます。
交通網や保存方法の発達により、全国各地の地鶏や銘柄鶏が味わえるようになりました。
また飼料にこだわった高価格の鶏肉や卵も登場しました。
筑豊にとって鶏とは、筑豊の辿ったドラマティックな歴史そのままに、
私たちの食生活からは切っても切り離せない、そんな食材なのです。
今回ご紹介した店舗はもちろん、様々なお店で美味しい鶏や卵を食べながら、
当時に想いを馳せてみませんか?
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